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芭蕉の辻の名称は忍者に由来?

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芭蕉の辻の名称は忍者に由来?

仙台市内には芭蕉の辻という地名があり、忍者に由来するのではないかという説があります。本当のところはどうだったのでしょう?

・芭蕉の辻とは
・忍者と関係があるのか
・記載を調べてみた
・まとめ

芭蕉の辻とは

仙台には城下町の中心部として残っている「芭蕉の辻」という場所があります。現在でもその場所はあり、奥州街道と、仙台青葉城の大手門通り(大町通り)の交差点の場所を指します。1600年に築城の認可が下り、早速翌年青葉城(仙台城)の築城を開始した際に町割りの基礎となる東北を縦断する奥州街道と、青葉城の大手通の交差点となっていたことから、当時の都市計画の中心地でした。

芭蕉の辻ですが、仙台藩祖伊達政宗公が、江戸から伸びる奥州街道と仙台城からの道とが交わる交差点を基点に町割り(まちの区画整備)がなされました。仙台の基点がここ芭蕉の辻だったのです。その辻も含めた道路が整備されているのです。

芭蕉の辻まちづくりより

忍者と関係があるのか

この場所の名称の由来については諸説あり、芭蕉と言う虚無僧が伊達の諜報員として活躍して多大の貢献をしたのでこの四辻を与えられた、繁華な場所ゆえの「場所の辻」が訛ったものである、など様々な説があるがはっきりしないとされていました。

 

記載を調べてみた

内藤以貫の封内山海名蹟記という書物に記載があるということがわかったので、図書館のデータベースで検索しましたが出てきませんでした。
内藤以貫は長州(現:山口県)に生まれ、二代藩主伊達忠宗公の招きで来仙、藩の儒者(倫理・道徳を説く政治家)として仕え、忠宗公や三代藩主伊達綱宗公の侍講(先生)となった。陽明学の流れをくむ儒学者で『貞山公年譜』『義山公年譜』を作成した人物とされています。

そこで、内藤以貫の墓についてホームページに記載があったまちづくり推進課に問い合わせをしてみたところ、回答をいただくことができました。

「封内山海名蹟記」を参照したいとのことでしたので、仙台市博物館の協力を得て調べたところ、宮城県図書館に著者内藤就篤(内藤以貫の本名)で「仙臺封内記」の名称で蔵書があり、「封内山海名蹟記」にあたるのではないかとのことでした。ただし、書籍ではなく和書で保管されているとのことです。

無事資料を見ることができました。左のページの真ん中あたりからです。

書いてある内容がわからない部分もあったのでインターネットで調べてみました。おそらくこのような内容が書いてあるのだと思います。

この「札の辻」は、伊達政宗が仙台城へ移る前、千代と呼ばれたこの地域の情勢を監視・報告させた虚無僧「芭蕉」の名に因むとする説が有力です。仙台城下町建設後も、札の辻の櫓の運営の役目をこの僧は任されていたのですが、ある時芭蕉は城下町の雑踏を嫌い、名取郡増田(現・名取市)に居を移したのだそうです。そこで、彼の功をたたえるため、その札の辻は、いつしか「芭蕉の辻」と呼ばれるようになったというものです。

シリーズ・クローズアップ仙台より

虚無僧=隠密はどうなのかという部分ですが

街道を歩く時は民衆・農民の格好から薬売り、山伏など、場合によって色々な服装に変えていました。忍術伝書には、七方出(しちほうで)という変装の術があり、虚無僧、出家、山伏、商人、放下師、猿楽師、常の形の7つに分類されています。

伊賀流忍者博物館より

とされており、芭蕉の辻の虚無僧も、隠密変装の可能性があると解釈することができます。

まとめ

芭蕉というとまず頭に浮かぶのが奥の細道の作者である松尾芭蕉が絡んでいるのではないかと連想しますが、芭蕉の辻とは全く関係がないのだそうです。虚無僧は深編笠で顔が見えない点を生かして、暗殺者や隠密、武士が本当の身分を隠して行動する時の姿として時代劇でおなじみでしたが、仙台城が築城される前に整備された四辻に配置されたという役割から考えるとすれば、やはり忍者だったのかもしれません。

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