伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった忍者の集団を調べています。今日は参考史料を調べていく回です。
・何の本の参考史料か
・刈田郡誌とは
・書いてあったこと
・まとめ
何の本の参考史料か
昨日と同じですが、飯田勝彦氏の著作で、仙台のあづま書房から1985年2月に出た「伊達軍団の弓取りたち」の参考史料でした。
阿部安定について、わかるかもしれないと思って見ていきます。
刈田郡誌 とは
国会図書館のデジタルコレクションでPDF化されていたので、それを確認しました。全222頁で今日は34頁から80頁まで。
書いてあったこと
目次の項目は、文治5年以前、白石氏、伊達氏、片倉氏 の途中まで。まだまだ戦国時代は先のほうに出てくると思っていたけれども、書いてあった部分がありました。
P46に、「土着の諸豪」とし、鎌倉幕府の末つ方、其の家人の土着する者次第に多きを加へたるが、其の主なるものを挙げれば次の如し。(藤田文學士述) として、佐藤庄司=織信、忠信の一統にして、信夫郡に住す。とあった。ほか、信夫氏=信夫郡、武石氏=亘理郡、後に北畠顕家卿に従つて戦功あり。とも。まだ直接つながりが見えない部分ではあるけど、後からわからなくなるのでメモ。北畠氏は出羽三山修験の大林坊とつながりがあるという小説が別なものでそういえばあったはず。
まとめ
今回は途中までしか読んでいないので、また少しずつ読んでいこうと思います。