伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった忍者の集団。本当に書いてあったかシリーズ。
・安部對馬重定
・地図でいうとどこか
・誤記の指摘があった
・安部定橘
・まとめ
安部對馬重定
黒脛巾組について記述がある有名なものとして、伊達秘鑑があることはこちらで見てみました。
信夫郡鳥屋ノ城主安部對馬重定ニ命シテ。偸ニナレタル者五十人ヲエラミ。扶持ヲ興へ。コレヲ黒脛巾組ト號ス。(中略)安部對馬之ヲ差引。
ー伊達秘鑑
(訳)信夫郡鳥屋城主・安部対馬守重定に命じて、偸になれたる者五十人を選び、扶持を与え、これを黒脛巾組と号す。安部対馬を差し引き。
最初に黒脛巾組をつくったのは"信夫郡鳥屋ノ城主安部對馬重定"ですので、この人について調べてみました。まだ完結しませんがおいおいできたらと思います。
地図でいうとどこか
現在の福島県の地図になります。後述しますが、誤記ではという指摘があり「鳥谷野」という地名を探しました。阿武隈川沿いですね。Google map・鳥谷野
伊達氏のルーツの初代朝宗(中村常陸入道念西・1189)は現在の福島県の伊達郡からスタートしています(伊達政宗は17代目)。伊達氏歴史めぐりマップ(伊達市のマップのルーツと人物がわかりやすい。2016年伊達市制作の政宗ダテニクルというアニメのようです)というのに、よくまとまっています。
そして、信夫郡を調べてみようと思って見てみたらこれは表でした。でもこの地名があるのは確かなようです。
福島県歴史資料館デジタル公開(信夫57)
誤記の指摘があった
伊達秘鑑の記述において、仙臺人名大辞書によると、安部對馬重定は安部対馬守安定、鳥屋は鳥野屋、おそらく鳥谷野(福島県信夫郡)の誤記だろうとの指摘の記載を見ました(『仙台郷土研究』四巻八号)。書いたのは、鈴木節夫氏という仙台の郷土史家です。
安部定橘
安部對馬重定とつながりがあると考えられますが、明治40年代にこのような書物の編纂をしている人物に安部定橘がいます。このほか、刈田の実業などいろいろな地誌を書いている方だったようです。まだ情報が少ないのではっきりしないのですが物書きの人だったら何か著作を調べたら、新しく書いてあることがあるかもしれません。
仙台案内記(上) 国会図書館デジタルコレクション
まとめ
黒脛巾組をつくった安部対馬守重定について、現状でわかったことを記載しました。鳥屋ノ城はなかった、安部対馬守重定はいなかったとよくいろいろなところで書かれているので、もう少し調べていきたいと思います。