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人取橋の戦いと黒脛巾組

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人取橋の戦いと黒脛巾組

伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった忍者の集団。今回は黒脛巾組が関係する「戦い」について調べてみました。

・人取橋の戦い
・黒脛巾組との関係は
・地図
・まとめ

 

人取橋の戦い

伊達政宗が東北に覇を唱える第一歩とも言える「人取橋の戦い」の舞台となった古戦場。福島県本宮市にある。重い鎧を着けられなかった鬼庭左月という73歳の老家老が壮絶な戦死をとげた場所としても知られています。

合戦historyさんの動画です。わかりやすい。黒脛巾組との関係としては、忍者説は確証がない、という ”紹介” がされている。(11秒目あたり。) まあ、伊達秘鑑は一次史料ではないし、江戸時代に後から書かれているので仕方がない。でもよく言われる部分です。

 

黒脛巾組との関係は

天正13年(1585年)11月、人取橋の戦いで政宗は佐竹義重・蘆名盛重らの連合軍と戦うこととなるが、このときに黒脛巾組が活躍したという記述が「伊達秘鑑」にはある。

マタ時ニ十一月十日。安積郡ノ内郡山ニコメ置レタル。大町宮内・太宰金七方ヨリ。早馬ヲ以テ注進シケルハ。佐竹・會津・須賀川・岩城 石川・白川ノ六将軍。約ヲ定メ二本松後詰ト稱シ。實は大群ヲ以テ一戦ニ當家ヲ亡サント。佐竹・岩城ノ両将ハ。一萬餘ノ軍卒ヲヒキイテ。三春口ヨリ打コへ。會津義廣ニハ一萬餘ノ人数ニテ。中山口ヨリ進発セラル。白河・石川ノ両将ハ。

つまり政宗が二本松氏を攻める前から、佐竹・會津・須賀川・岩城 石川・白川の6大名の大軍が後詰に大群で来て伊達家を滅ぼそうとしていることが黒脛巾組の大町宮内・太宰金七から知らされていたというのである。

 

地図

仙臺叢書第十七巻の巻末についている地図です。

現代の人取橋の場所はこちら。

 

口コミサイト。

じゃらん 人取橋古戦場跡

南奥羽歴史散歩

 

まとめ

現代では東北自動車道本宮ICを下りたら4号線を北上して10分ほどの場所にあって、田んぼの中にある人取橋。まだきちんと残っていて、いちど訪れてみたい場所です。

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