伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった仙台の忍者の集団を調べています。今日は調べていく中で引っかかってきた文献について。
・地方史情報
・加藤清正公信仰
・着目の理由
・まとめ
地方史情報
岩田書院 地方史情報107「加藤清正公信仰」
調べてみたら、この地方史情報は、2019年終刊とのこと。でも、PDFになってすべて上がっていて、便利だと思った。やはり印刷して、冊子にして、送ってというのは大変なことなのだ。
すごいと思ったのは、「国会図書館に納本されていないような雑誌も紹介。」とあった部分。やはりこういった雑誌のデータベース化は貴重です。
加藤清正公信仰
岩田書院 地方史情報107 によれば、
戦国武将である加藤清正(1562-1611)を神として祀る信仰・加藤清正公信仰は、清正公信仰ともいわれる。加藤清正は歴史上の人物であると同時に物語や伝説上の登場人物でもあり、信仰の対象でもある。
とあった。この清正公信仰を通して、本研究では民俗と歴史との関係を考えながら、日本人の「人を神に祀る習俗」は近世・近代といかに変遷していったのか、日本人の神概念の再検討をしていきたい。という研究の文章だったようだ。
着目の理由
鹿又戸兵衛の墓については、数年前に神社が撤去されてしまったという事実があった。この神社については、鹿股戸兵衛大明神となっていて、少し、この文を読んで、気になった。ただ、この神社は昭和初期に子孫である元仙台市長が建立したものと言われているため、戸兵衛大明神は先祖を祀るということになっていた部分があるのです。
清正公信仰は「人を神に祀る習俗」(人神信仰)であり、この祖霊信仰とは対立する側面を持つものである。
ただ、こういった戦国武将を神として祀る信仰が昭和初期の建立における背景にあったかもしれない、と思った。
まとめ
また今回も、忍者からそれた部分になったけれども、「その地域の忍者」を調べたいのなら「その地域の忍者に詳しい人」に聞かないとわからないと言われたことがあったので、あたりまえであるが、地域の中で探していかなければいけない。その部分で、私はまだあまりいろいろな部分を知らないので、目に入った情報については自分なりに調べていこうと思っています。