伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった仙台の忍者の集団を調べています。今日は昨日少し考えた部分からの続きで、鹿股戸兵衛からの桜田玄蕃について調べるため、ネットから見られる範囲で資料をみています。
・伊達博物館
・仙台藩士辞典
・お返事
・まとめ
伊達博物館
宇和島市立の伊達博物館があり、昨日紹介したデータベースの所有がこちらの博物館になっている。
仙台藩士辞典
【鹿股、延宝書上は鹿又】九郎兵衛嫡子本人親戸兵衛其の砌幼少につき、
櫻田玄蕃に養育され、成長後親の仇を探し出し討ち取る、寛永13年以上の
ことを政宗に訴え・・(私本仙台藩士辞典)
とあるので、ダメもとで問い合わせをメールで送らせていただきました。
お返事
突然の問い合わせにも関わらず、所蔵の資料を調べてくださってお返事をいただいたのですが、やはり所蔵されている文献に記載はされていなかったとのことでした。残念。。ですが調べていただけたのがとても嬉しかったです。
まとめ
戦国時代の後のほうには、仙台藩よりも宇和島藩の方が強かったと読んだことがあります。文化財の保護の規模がすごいと思いました。燃えたら終わり、劣化したらおしまいの紙よりも、未来永劫残るのは、デジタルなのだから早く推進するべきだと思うけど、データベース化するというのは、簡単なことではないと思います。他のいろいろな史料もネットで簡単に見ることができるので、巻物の絵を眺めるだけでも普通は図書館に行って、出してもらって、コピーだめでという状況を考えれば断然良いです。素晴らしい。
宇和島には一度も行ったことがないので、旅行ができるようになったら一度訪れてみたいです。