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大林坊俊海について

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大林坊俊海について

伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった忍者の集団。今日は、良くいろいろなところで書いてあって、いちばん名前が売れている(?)大林坊俊海について。

・どんな人?
・探してみた
・北畠顕信(1320-)
・まとめ

どんな人?

大林坊俊海は忍者時代小説的なものによく登場します。戦国忍者列伝の本にあるのは、

・永禄10年(1567~?)生まれ
・羽黒山で修行した修験者
・先祖は南北朝時代に奥州を拠点に活動した武将、北畠顕信に仕えた武士
・覚雲坊は蘆名家の禅僧で、羽黒山の修験仲間

戦国忍者列伝: 乱世を暗躍した66人

さらに、臨場感あふれるシーンがもっと詳しく書かれています。

”天正17年の初めのころ。大林坊は百姓姿で城に忍び込むと、深夜を待って歩哨の目をかいくぐり本丸の奥へ忍び込んだ。深夜の空気は冴え返り物音が響きやすい。そこは羽黒山の極寒で修行した修験者。音をたてず納戸に忍び、水を含んだ布に糒を戻して食べ、水分をすすり、まる2日潜入、鉄砲の数量など、軍備から城主と譜代家老の確執による将兵の乱れなど調べつくした。

また、かつて羽黒山の修験仲間であった覚雲坊を訪ねた。とある。摺上原の合戦で風向きが午後に変わることを政宗に進言したのは地元の農民から季節風の特徴を聞き出した大林坊俊海だったと伝えられている。”

ー「戦国忍者列伝」80人の履歴書

しかし、生誕年が1567年とすれば、黒脛巾組が活躍した人取橋の戦いの時は19歳、摺上原の戦いの時は22歳ですね。ちょっと若いような。。?

 

探してみた

水を含んだ布に糒を戻して食べ、水分をすすりながら隠れてという部分がどこかにあったと思ったのだが今出てこない。ただ、大林坊俊海という名前が出てこないか探したが、伊達秘鑑(上)第17巻の中では見つけられなかった。

 

北畠顕信(1320-)

先祖が北畠氏に仕えた武士とあるので、調べてみますがもちろんネットでは大林坊のつながりは出てこない。お兄さんの北畠顕家は、1991大河ドラマ『太平記』で後藤久美子が役を演じていたそうです。

北畠一族 なみおか今・昔 によると、宇津峰城(福島)、立矢沢城(山形)に顕信の遺跡があり「地理的にみて、顕信は羽黒の山伏とかかわりを持っていたと推測されます。」との記述がありました。でもそれ以上は今のところわからない。

霊山今昔 こちらには数多い北畠氏の登場人物の関係図つき。こちらもまた伊達市のダテニクル制作。

武家家伝_浪岡氏 最後に家系図がある。顕信ー信親、守親ー親能(天童丸?)、親統とある。

山形新聞・羽黒の山伏 羽黒山の修験という部分から見ると、羽黒では修験者と山伏、法印が一緒で、修験者は清僧修験者(山内修験者)と山麓修験者(妻帯修験者)、それに末派修験者に分けられることがわかる。

まとめ

残念ながら大林坊俊海の名前は他の黒脛巾組のように江戸時代に書かれた伊達秘鑑には出てこなかったのですが、いかにも忍者にいそうな雰囲気です(いてほしい)。他の本に、もしかしたら登場するのかもしれません。

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