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国見歴史文化基本構想資料からの観音寺

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国見歴史文化基本構想資料からの観音寺

伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった忍者の集団を調べています。今回は観音寺からのつながりでネットからわかった部分のメモ。(図書館が開いてない。。)

・これまでのおはなし
・今日見つけたもの
・そこからわかったこと
・観音寺関連書いてあった場所のメモ
・まとめ

 

これまでのおはなし

S9の鈴木節夫氏の発表→信達民選集で間者の関わった事件発見→観音寺→ネットで地名検索→【いまここ】。経緯はこちらから。信達民選集にみる観音寺炎上事件

かなり離れていっているようですが如何せん資料がないので、まわりを潰していく作戦を取ろうと思いました。毎日こういうのを潰していけば、いつかは何かがわかるだろう。(と思っている)分のつづき。

 

今日見つけたもの

国見町歴史文化基本構想

https://www.town.kunimi.fukushima.jp/uploaded/attachment/5458.pdf

おそらく昨日見つけたファイルは、この基本構想の中の一部だったと思われます。これは令和2年3月に出したばかりのようで、新しいものです。国見町は歴史や文化を活かしたまちづくりを推進すると書かれています。これまでにも多くの歴史を含む、地域資源をを活かしたまちに関する事業を行っているのがわかります。

 

そこからわかったこと

④ 地域誌・記念誌(P.44)

参考になりそうなものとして
国見町郷土史研究会が発行する『郷土の研究』。また、国見町教育委員会が、『国見の民話』(昭和 60〔1985〕年)、『続・国見の民話』(平成2〔1990〕年)を発行している。とあった。

また、
④郷土史家菊池利雄氏所蔵資料調査(P.46)から
長年本町の歴史資料の研究・収集に努めてきた菊池利雄氏。研究論考・論文・成果物について資料は 2,000 点以上に及び、歴史地理・文献史学・民俗学・地学など、幅広い研究フィールドと本町に関わる様々な視点からの研究業績。とあったので菊池利雄氏をチェックすると国見のことが書いてあると思われ、参考にできるかもしれない。

 

観音寺関連書いてあった場所のメモ

観音寺観音堂汽車絵馬(町指定有形民俗文化財)は明治 25(1892)年、徳江タケが汽車の図柄の刺繍絵馬を奉納したものである。いずれも本町の歴史に関係する当時の情景を示すもので、貴重な存在である。<写真 3-24 観音寺観音堂汽車絵馬>あり (P.56)。写真は、資料より。

 

観音寺は徳江字中ノ内に所在する真言宗寺院である。寺の縁起によると、天長3(826)年に空海が開基したと伝わり、文治 5 (1189)年阿津賀志山の戦いに関する伝承が残る。「烏帽子に白鳥を置いた徳江観音の社人が頼朝方の三浦義村を案内し頼朝方を勝利に導いたため、三百貫文の社寺地を寄進された」(『徳江観音寺縁起』、慶長7〔1962〕年)。境内には享保 3(1718)年建築の観音堂・鐘楼が建ち、伊達秩父準三十四観音の第 30 番札所として信仰を集める。(P.81)

明治 20(1887)年、本町に鉄道(現:JR 東北本線)が敷設され、近代化を象徴する蒸気機関車が往来することとなった。観音寺観音堂には、徳江字団扇の徳江タケが明治 25(1892)年に汽車の図柄に刺繍を施した絵馬が奉納されている。この鉄道は当初、福島以北の地域は阿武隈川沿いに、保原・梁川から宮城県へ向かう計画になっていたが、当時養蚕業の本場であったこの地域の人たちが汽車の煙で桑の葉が黒くなることを嫌って反対し、・・・ (P.86)

徳江字中ノ内に所在する観音寺は、真言宗豊山派の古刹である。観音堂は聖観音菩薩を本尊とし、脇侍に毘沙門天立像、不動明王立像を配置した仏堂である。本尊の制作年は不明だが、渡来佛の趣がある。秘仏として 30 年に1度の開帳を行っている。建物は棟札より享保 3(1718)年の建築と明らかである。外観は二手先組物、二軒平行繁垂木を用いる形式の整った仏堂であり、町内随一の規模である。地域住民による観音講が組織されており、現在も観音様に御詠歌をお供えし、地域の安全や家族の安心を祈る。(P.103)

観音寺文書 寺院所有文書6点 古-764  ※町史掲載資料数(P.168)

【民俗文化財/有形の民俗文化財/信仰】徳江観音寺に関係するもの(P.189)

【民俗文化財/無形の民俗文化財/口頭伝承】徳江観音寺の由来(P.210)

そのた:

はばき 男性の仕事着、田畑の耕転作業にはひざ下に楮あるいは藤の皮などを割いて編んだ「ハバキ」をつけた 有民① -52 (P.176)

■まとめ

かなりボリュームがあった資料だったので、読み飛ばしや、チェック漏れがあったかもしれない。以前より観音寺の情報はとれたが、観音寺炎上にまつわる前後の間者の部分については、この情報だけではたどり着かないのでもう少し別の角度から見る必要がありそうだ。一番の収穫は国見町の郷土史家の菊池利雄氏の名前がわかったことだと思う。何と言っても古文書などをもし見たとしても書いてあること(重要部分)がわからないのであるから、ワンクッション置いてもらえる研究発表は他の先行研究ががない以上、貴重なので少しずつでも拾っていかなければいけないと思う。読めば意味がわかるのだから、ありがたい。

また、有形・無形の文化財については「これまでの指定等文化財に対する保護だけでなく、未指定・未登録の文化財も含めた有形・無形の歴史文化資源の保護は、住民主体及び住民連携による保存・活用が必須である。」と書かれていた。これは仙台市に住んでいる者としては思うところある一文であった。こちらはまた別の機会に。

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