伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった仙台の忍者の集団を調べています。話題の気仙沼にゆかりのある気仙沼左近についてみてみます。
・気仙沼
・気仙沼左近とは
・伊達四十八館
・まとめ
気仙沼
宮城県の北東部で三陸海岸に面している。陸中海岸国立公園がある。来春のNHK朝ドラ「おかえりモネ」の舞台に決まったと報道が昨日あったばかり、話題沸騰中の気仙沼!
気仙沼左近とは
老人伝聞記に名前が書かれている。
「老人伝聞記」にも黒脛巾組に言及する一文があり、清水沢杢兵衛、逸物惣右衛門、佐々木左近、横山隼人、気仙沼左近などの名が黒脛巾組の首長として列挙されている。
気仙沼左近とは
情報が少ないので、県北境に城があったところの要害等について書いてある記事を何点か探して見てみる。
ササラ風土見聞録
伊達家家臣の大塚氏と大塚城
みちのくトリッパー
どうやら米倉左近将監持長(持村)の名前は天正十八年(1590)の大崎葛西一揆で、蒲生氏郷の軍勢に抵抗した葛西勢の中に名前が見られ、気仙沼市本吉町津谷舘岡の津谷舘にゆかりがあるようだ。気仙沼左近は、たぶん気仙沼の左近だろうからもしかしたら米倉左近なのでは?
伊達四十八館
伊達四十八館という48もの城を築きその拠点の数をあわせた言葉が残っているが、気仙沼左近がどの部分にいたのかははっきりしない。仙台藩においては、幕府の一国一城令のもと、正式に認められた「城」、実質的に城および城下町としての機能をもった21の「要害」、各地の支配拠点となった「所」「在所」のランクが存在した。これらにそれぞれ領主として、仙台藩の家臣団が配置されているということのようだ。
まとめ
そのまま気仙沼左近と書いてあるものは今日は見つからなかった。気仙沼左近と気仙沼の歴史がつながれば、もっと手がかりが出てくると思うのだが。