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気仙沼の城跡

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気仙沼の城跡

伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった仙台の忍者の集団を調べています。気仙沼にゆかりのある気仙沼左近について考えます。

・米倉左近将監持長
・気仙沼市内発掘調査報告書
・報告書から
・まとめ

 

米倉左近将監持長

米倉左近将監持長(持村)の名前は天正十八年(1590)の大崎葛西一揆で、蒲生氏郷の軍勢に抵抗した葛西勢の中に名前が見られ、気仙沼市本吉町津谷舘岡の津谷舘にゆかりがあるようだ。気仙沼左近は、たぶん気仙沼の左近だろうからもしかしたら米倉左近なのでは? という推測からだが、発掘調査報告書があったので見てみる。

 

気仙沼市内発掘調査報告書

気仙沼市内発掘調査報告書

平成26~28年度の、気仙沼市教育委員会発行もの。検索していたらひっかかってきたので、見ることにした。

 

報告書から

遺跡名略号の中に、忍館城跡:SIN があった。

本市の遺跡の特徴のひとつ として、中世の城館跡と縄文時代の貝塚が多いことがあげられる。城館跡は82遺跡、縄文時代の 貝塚は19遺跡が知られている。

忍館城跡は、市内浪板地内に所在する。鹿折川河口近くの左岸、気仙沼湾の基部の丘陵上に立地 する中世の城館跡である。 。「仙台領古城書上」 には、「山 忍館城 東西三十間 南北十間 右城主 熊谷伯耆ト申者ニ御座候」と記載されてい る。また、「風土記」には、「高二十五丈 東西七十三間 南北五間 御城主 千葉信濃ト申ト伝エ  年代相不知申」と記載がみられる。

平成26年度に確認調査を実施した結果、忍館城跡に伴う遺構・遺物 は確認されなかったものの、江戸時代の遺物(磁器および銭貨)が検出されている。

とあった。津谷舘の調査はこの報告書に入っていなかったようだった。忍館城跡が誰の城だったかについては、熊谷伯耆か、千葉信濃ということになるのだろうか。(どこにも出てこないし、関係ないと思うのだが忍館城の名前が気になった。)

熊谷伯耆については 奥羽古城散策 さんブログに載っていた。後日もう少し調べる。

 

まとめ

津谷舘のことはよくわからなかった。が

古城盛衰記 さんブログに詳しく津谷舘のことが書いてあった。
1590年の葛西氏滅亡まで米倉氏の居館となった。とあったので、葛西氏についていたが1590年から事情があって名字を変えたのかもしれないと勝手に予測してみる。はっきり書いてあるものは見つからなかった。

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