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仙台藩大番士と老人伝聞記

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仙台藩大番士と老人伝聞記

伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった忍者の集団。今回は黒脛巾組のメンバーを記載した「老人伝聞記」から関連する部分としてのメモ。

・老人伝聞記と黒脛巾組
・老人伝聞記の著者について
・仙台藩の武士身分に関する基礎的研究
・わかりやすかったブログ
・まとめ

 

老人伝聞記と黒脛巾組

黒脛巾組は1次史料に登場せず、はじめてその名前が出るのは江戸中期に書かれた『伊達秘鑑』と成立時期不明の『老人伝聞記』。老人伝聞記は著者についても不明とされています。

一 貞山様御代に。黒脛巾組と申者被二召仕一候。是は其所々の百姓共の内。力量も有レ之打物も覺候様の者をすぐり立。五十人・三十人一組に致候て。所々の御案内申上。又は惡黨共忍人候を捜出候か。或いは兵粮廻米御陣具竹木等の事共。差配申候今時の組抜の様なる者に候。一統に黒の皮脚絆をはき申候。其土地の古人の武邊有レ之者を組頭と被二相定一候。南にては阿部對馬。北にては清水澤杢兵衛。佐沼には逸物惣右衛門。石巻には佐々木左近。本吉南方に横山隼人。同北方より氣仙迄は。氣仙沼左近。其外名不二承傳一候。

政宗は力量・打ち物(武術)にすぐれた者を選び、黒脛巾組をつくった。百姓出身であっても「組抜くみぬき」(足軽同様の下級武士)の扱いとなった。構成は五十人、三十人を一組として、案内、悪党の忍び入りたる者の探索、兵糧・廻米・御陣具・竹木の運搬をさせた。それぞれの土地の古人の武辺の者を組頭とした。この「黒脛巾組」の組頭をまとめる者は、南の安部対馬のほかに、北の清水澤杢兵衛、佐沼の逸物惣右衛門、石巻の佐々木左近、本吉南方の横山隼人、本吉北方の気仙沼左近の六名である。というような訳になります。地名に対応した人物を描いているのは、今のところ老人伝聞記のみとなっていて貴重なものです。

 

老人伝聞記の著者について

著者については解題にも不明とあったので、わかりませんでした。しかし、仙台藩の武士身分に関する基礎的研究 から、
「一九世紀に入ってから仙台藩の大番士によって書かれたものだとされている『老人伝聞記』」との記載があったので、名前はわからないがどの身分の人が書いたのかということが想像できる。大番士とは何だろうか。

 

仙台藩の武士身分に関する基礎的研究

「武士身分の者」の多さが特徴とされる仙台藩の武士身分について書かれている。また、仙台藩の領内では誰が武士として認められたのかということについての考察が書かれている内容です。文中にあった図が、老人伝聞記に書いてあった場所の記述を見る時の参考にできそうです。

仙台藩の武士身分に関する基礎的研究より

わかりやすかったブログ

ちょっと難しいので、仙台藩の大番士のことを書いている何かないか見てみる。あった。flom仙台さん。とても詳しい。なるほど。大番士は3600家、1000石未満の方、その中では、100石未満の方がいちばん多くて7割ぐらいだったようです。

仙台藩の大番士は、奉行(他家の家老にあたる)直下の「大番組」に属します。大番組には、幕末頃で3717家が属していましたが、大番士はその中で禄高が知行千石未満の「平士」身分の者達です。360家づつ10組、3600家いました。禄高が500石~1000石の者が68家、100石~500石は994家ですので、100石未満の知行取りや切米・扶持米取りの者は2538家いたことになります。

 

まとめ

老人伝聞記の著者についてはっきりしたことはわからないものの、大番士という説があり、大番士は大番組に属している身分。3600家あった。武士団の中核となった「大番士」は中級武士であり、「サムライ」の平均的な姿だったようです。

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