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信夫山について

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信夫山について

伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった忍者の集団を調べています。今日は直接関係ないけれども、活躍していた場所に関して、少し知識を増やします。

・信夫山の特徴
・青葉城の由来
・考えられるつながり
・まとめ

 

信夫山の特徴

安部對馬重定と黒脛巾組

こちらで見たように、最初に黒脛巾組をつくったのは"信夫郡鳥屋ノ城主安部對馬重定"と書かれていました。そこで、信夫郡を調べることにしました。ネット検索していたら、このPDFを見つけました。

信達の歴史シリーズ 第1回 福島市のシンボル“信夫山”

からは以下のようなことが書いてあり、これは福島県なのだけれども、出羽三山とそっくりだと思いました。中でも即身仏は、発見される場所がかなり限定されるため何らかのルーツのつながりがあるのではと想像します。

・信夫山は全体が神の山として崇められた
・信夫山は、東から熊野山・羽黒山・羽山の三山からなり、西峯の羽山寺跡付近には月山神社・湯殿神社が祀られている。
・霊山である
・里人の死者の魂が里山にやどり、里人を見守るという羽山信仰
・即身仏があった

 

青葉城の由来

・慶長5年(1600)、旧領奪還を目的に福島城を攻略するため、上杉家臣の福島城代本庄繁長との戦いで、伊達政宗は信夫山中腹黒沼神社付近の愛宕山に陣を構えたと『東国太平記』にある。しかし上杉方の梁川城にいた須田大炊の攻撃により伊達政宗の軍は敗走し、伊達政宗に内通していた羽黒権現別当寂光寺の僧慶印も政宗に従い仙台へ移った。仙台を本拠地とした伊達政宗は、居城を青葉山と名付け青葉城の鬼門の守りとして寂光寺を建立している。

こちらにも記載が。その24 仙台の「青葉城」は信夫山の古名!?

これによると「青葉山」とは信夫山の古名で、仙台に「残月台本荒萩」の本があり、青葉城は福島の青葉山の名を移したものと書かれているようです。ようするに、松川合戦で負けた戦いの部分なので仙台の青葉城址の案内板には記載がないのですね。政宗が仙台城を築いた折に、山伏の恩に報いるため「青葉城」と雅号をつけた話は有名で、との記述もありました。

 

考えられるつながり

山伏が忍者とのつながりがあるのは滋賀や青森でも例が見られるものの、はっきりとした部分はわかっていません。ただ、

・六供(僧)の祖先は山伏であったともいわれ、羽黒権現の別当の寂光寺は、信夫山伏の頭であったという(「葉山秘録」西坂茂『信夫山』)。

とあることから、やはり出羽三山(山形)と信夫山(福島)には何らかの関わりがあるのではないかと思います。

また、慶長3年(1598) 豊臣政権下、上杉景勝は会津若松城主120万石となり、伊達郡は上杉氏の支配領域となった。家臣横田大学は山中に往還を開さくし、相馬の海岸から魚介類・塩を郡内に搬入した。(同シリーズ:第2回 霊山と郡境より)とある。

昨日の投稿部分で分かったことは、鳥谷野館についての記述に上杉家の臣某とあり、また、慶長年間(1596年から1615年)に上杉家の臣により築城された(信達一統志)・・とあったのでした。

 

まとめ

年代的にも鳥谷野城主は上杉家の人になるようだが安部安定はどこに出てくるのだろうか。年代で多少違っていて、1586年が人取橋の戦いで1589年が摺上原の戦いだったので、上杉景勝の前なのか、もしくはその地域の豪族が阿部安定なのだろうか。?? 今のところわからないので、まずは信達一統志を見てみたいと思います。

 

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