伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった忍者の集団を調べています。今日は、以前ペンディングになっていた調べものの部分の更新。
・これまでの経緯
・図書館に質問
・わかったこと
・まとめ
これまでの経緯
最初に黒脛巾組をつくったのは"信夫郡鳥屋ノ城主安部對馬重定"と書かれていましたので、この部分を調べます。
ここで見たように、安部對馬重定は安部安定、鳥屋ノ城は鳥谷野が正しいのはないかと書いてある文献があったため、その内容で調べています。
図書館に質問
安部安定の城に関しての資料がないかについての問い合わせを行い、回答がいただけたので複写サービスをお願いしました。
わかったこと
安部安定の城について、城ではないけれども、鳥谷野の「館」についての記述があり、以下の資料に記載があったことがわかりました。
『福島県文化財調査報告書 第197集 福島県の中世城館跡』 福島県教育委員会/編 福島県教育委員会 福島 1988.3
→この資料によると鳥谷野館(とやのだて)は、文献に「信達一統誌」、備考に「上杉家の臣某」の記述があった。
『市内遺跡試掘調査報告 平成13年度 北五老内遺跡 二ツ石遺跡 台畑遺跡 川添遺跡 西川子坂遺跡 大鳥城跡 本町裏遺跡 鎌田館跡 鳥谷野館跡 五十目館跡 天神平遺跡 福島市埋蔵文化財報告書 第158集』 福島市教育委員会/[編] 福島市教育委員会 福島 2002.3
→こちらには、「鳥谷野館跡は福島市鳥谷野字館地内に所在し、阿武隈川によって形成された下位砂礫段丘上に位置する城館跡である。慶長年間に上杉家の臣により築城された(信達一統志)とも伝えられる。」とある。今は土塁が残るのみ。ほか、少なくとも近世末の時期には水路としての性格、地割の境界であったことが想定されるとのことが書かれてありました。
まとめ
城についての資料はなかったですが、慶長年間に上杉家の臣により築城された言い伝えがある旨の記述があることがわかりました。上杉家の臣と安部安定が今のところ繋がらないので何とも言えないのですが、信達一統志という本により詳しく記述があることがひとつ新しくわかりました。
ここからリストを見ると、信達一統志の他にもたくさん資料があるようなので、また少しずつ見ていきたいと思います。
・・・いろいろたどっていったら、鳥谷野の名主羽田家の質問が書かれていた。これも見ておきたい。書いておかないと戻れなくなるので書いておきます。
今度読むリスト
信達一統志
1.「すぎのめ」 第8号 昭和60年6月 L211/F8/8 「鳥谷野館と永京寺」 羽田稔 著 p18-29 ・『羽田宗家系図』により顕国に繋がるとの記述あり。 2.「すぎのめ」 第24号 平成13年11月 「秦、畑、畠、波多、波田、羽田壱族」 羽田稔 著 p26-29 ・「顕国の子孫は羽田氏を号して世々福島の鳥谷野に住す」との記述あり。L211/F8/24 (https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000038431)