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宮城県史25を読んでいます(4)

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宮城県史25を読んでいます(4)

伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった仙台の忍者の集団および地域の忍者を調べています。今日は先日、宮城県図書館で借りてきた宮城県史25を途中まで読んでいる経過です。その4。

・ここまで読んだ
・今回気になった部分
・栗原郡とは
・まとめ

ここまで読んだ

今回読めたのは、484/820頁です。玉造郡の村が終わり、栗原郡の各村についての記述に入りました。まだ栗原郡が続きます。ペース的には返却期限に間に合いそうかなあ。と思っています。

今回気になった部分

479頁:栗原郡有賀村風土記後用書出の部分、「天文二年三月当村本郷田鳥谷城丼端郷御田鳥城江被相移候以後同御家臣高玉茂兵衛と申御方住居被成候・・」で鳥谷城の記載があった。
480頁:「御田鳥館 大崎葛西御合戦之節御打死被成候其後葛西御家臣尾形新右衛門と申御方天正十八年之頃迄御住居之由申傳候 但当時ハ畑ニ罷成居申候事」などの文章が続きましたが特に忍びの様子は見当たりませんでした。
→安部對馬重定は安部安定、鳥屋ノ城は鳥谷野 と以前調べたことがあったので何となくワードが引っ掛かったのですが栗原郡とはつながらない模様でした。

鳥谷野城について

栗原郡とは

ー戦国時代、この地域は奥州探題の大崎氏、奥州総奉行の葛西氏両氏の境界に当たり、長い間争奪戦が繰り広げられた地域でした。ここを居城としたのが葛西氏の流れをくむ富沢氏。富沢氏は葛西の出ではありますが、場所が場所だけに、ある時は葛西氏に、ある時は大崎氏にと帰属を変え、また、度々兵乱も起こしました。1573年、室町幕府が滅亡したこの年、葛西氏が栗駒郡を制圧し、富沢氏も葛西側に復帰しました。しかし、富沢氏は反乱を起こします。
ー栗駒町には茂庭綱元のお墓があります。綱元は政宗の家臣中の家臣とも言うべき人です。1585年の人取り橋の戦いでは父良直と共に参戦、父は討ち死にしてしまいますが、勝利に導き茂庭家の礎を築き上げました。

栗原市 旧栗駒町 鶴丸城址と茂庭綱元のお墓 より

この地域は上記のように境界に位置していたため、戦いの歴史が多いことで知られます。菅原勇喜氏著 『奥州栗原 戦国物語 〜伊達政宗と栗原ゆかりの武将たち』 という本も出ています。菅原氏の紹介記事(川口納豆メルマガ#86)。細倉マインパークなどで購入できます。細倉鉱山は銀や鉛が産出された場所としても地元では知られています。

まとめ

たぶんなかなか忍者は出てこないと思うのですが、ひととおりは見てから返したいと思いますのでまだしばらくこのような感じで地味に進めていきます。

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