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読むリスト:刈田郡誌(5)

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読むリスト:刈田郡誌(5)

伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった仙台の忍者の集団を調べています。今日もまた、参考史料を調べていく回です。

・何の本の参考史料か
・刈田郡誌とは
・書いてあったこと
・まとめ

■何の本の参考史料か
昨日と同じですが、飯田勝彦氏の著作で、仙台のあづま書房から1985年2月に出た「伊達軍団の弓取りたち」の参考史料でした。

伊達軍団の弓取りたち

阿部安定について、わかるかもしれないと思って見ていきます。

刈田郡誌 とは

国会図書館のデジタルコレクションでPDF化されていたので、それを確認しました。全222頁で今日は125頁から156頁(←コマ番号表示)まで。

刈田郡誌

書いてあったこと

今日の目次の項目は、史跡、名勝、伝説、古碑。特に忍者にぴったり関係する記述は今回もなかったが、気になった部分を書きのこしておく。

P207 〇小村崎 元弘の頃、村上修理太夫、北畠顕家の軍に応じて馳せ参じたる地なり。
P221 【世良修蔵の墓】陣場山に故奥羽〇〇〇〇府参謀世良修蔵等の墓あり。明治九年~
P230 【遠刈田温泉伝説】奥州信夫郡平田村炭焼藤太との~
P236 【安部宗任一族の塚】羽前街道より約五間程東の畑中に存する塚なり。
P239 【兵糧館址】村上上修理太夫元弘の頃、北畠顕家の軍に応じて馳せ参じたる地なり
P242【菊面石(球状閃緑岩)】項目内、石の組織の研究はあるがなぜこの石がここにできたかわかっていない。外部から他の岩石がはまりこんだ説も。
P248 【甲冑堂】佐藤兄弟。写真。
P264   〇蔵王山 封内記云、蔵王権現杜、在奥羽界不忘山上、傳曰、役小角叔父願行所開也、往古、山中薬師獄麓・・・

甲冑堂については、

源義経に仕えた佐藤元基の子継信・忠信は義経の身代わりとなって、敵に討たれました。その母がこれを嘆くのを見て、兄弟の妻、楓と初音が夫の鎧、兜をつけて老母を慰めたと伝えられています。甲冑堂には、継信・忠信の妻女たちを讃えて、その像を安置しています。

ーみやぎ蔵王観光ナビ

という建物で、坂上田村麻呂を祀っています。

優しい娘たちの行いが胸をうったと、文部省高等小学校唱歌にもなり、昭和の初めごろには学校で歌ったとのこと。

敷地内にお家があり、現地に行って説明をお願しますと言うと、手続きをした後にいろいろと案内をしてくださいます。昨年の秋に行ってきた時の写真です。

まとめ

今回も最後まで読めず、途中までしか読めていないのですが、半分は越えました。なかなか読みにくい文体で遅いのですが、少しずつ進んでいこうと思います。

 

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