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石巻の佐々木左近

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石巻の佐々木左近

伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった仙台の忍者の集団を調べています。石巻の佐々木左近について、わかる部分で調べてみました。

・佐々木左近
・石巻の豪族
・佐々木氏の特徴
・そのほか

 

佐々木左近

老人伝聞記に記述がある。「石巻には佐々木左近。」しかし、わかっている部分はここだけ。

仙台藩大番士と老人伝聞記

他の太宰金七などのように忍び込んで情報を聞き出した、などの役割については知られていない。佐々木というポピュラーな名字だけに、調べる前から詳しくわかる結果が出るのは難しそうな雰囲気。。

 

石巻の豪族

仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル さんの記事から
「県北部では大崎氏、石巻では葛西氏、仙台平野では国分氏、留守氏、八幡氏、などが有力となる。16世紀中頃の宮城県の勢力地図は、北に大崎、東に葛西、中央に留守と国分、という豪族が有力であった。」

またしても葛西氏が石巻で有力だったとありました。

 

佐々木氏の特徴

名字ランキング 第13位 佐々木 この記事によれば、佐々木が東北に多い理由として以下のようなことを挙げています。

「佐々木秀義と息子の定綱・盛綱・高綱たちが源頼朝を助けて鎌倉幕府の成立に大活躍したからだ。その功績を賞されて佐々木一族は全国各地に所領を賜った。そこに一門を派遣し、佐々木党という武士団が組織されていった。とくに東北には鎌倉後期から進出したようで、幕府の有力者だった佐々木さんは貴種として尊敬された。そうなるとゆかりやあやかりで名乗るものが増えていったわけだね。現在、東北に佐々木さんが多いのはそのためだろう」

また、こういった背景もあるらしい。
なぜ、石巻には阿部さん多い? より

「中世には葛西氏が牡鹿郡を拠点に沿岸部や北上川流域に勢力を広げ関東出身の御家人が石巻地方に多数入り込んだことや、江戸時代には北上川水運により江戸と交易が盛んに行われた。」

そのほか

千葉一族【に】【ぬ】【ね】【の】  からは、
佐々木左近将監源満高の名前が帯刀の欄にあるが、明徳3(1392)年8月28日「相国寺供養参仕人」(『相国寺供養記』:『国史大系』35「後鏡」所収)のもの。すわあったと思ったけれども、戦国時代と年代が合わない。

また、祭りの追っかけシシ踊り からは、竪沢鹿踊の由来については、岩手の郷土芸能(岩手日報社 1992刊)より
「盛岡市山岸の住民とともに始めたといわれる。神社は白森山岳に大雷命と称して鎮守されたが、貞応元年(1222)に焼蒔城主の佐々木左近が自己の信仰として竪沢の現在地に移し、社殿を建立。以後、社殿に奉納した鹿鳴の宴が伝承され、春日神社例祭で奉納されている。とあった。これもまた年代と場所が合わない。

今日は石巻の佐々木左近については見つけることができなかった。ネットには出てこないだろうなあ。

 

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