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宮城県史25を読んでいます(6)

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宮城県史25を読んでいます(6)

伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった仙台の忍者の集団および地域の忍者を調べています。今日は先日、宮城県図書館で借りてきた宮城県史25を途中まで読んでいる経過です。今日はその6。

・ここまで読んだ
・今回気になった部分
・栗原郡とは
・まとめ

ここまで読んだ

今回読めたのは、686/820頁です。栗原郡に続いて遠田郡が出てきました。

今回気になった部分

今回も特に忍びの記載は出てきませんでした。ただ、この本の中で時々、獅山様という表現が何回か出てくるため調べてみました。

獅山様とは

江戸中期の仙台藩五代藩主。仙台生。幼名は村房・卯之介、のち藤次郎、号は獅山。藩主綱村の養子となり襲封、従四位上左近衛中将陸奥守に叙せられる。40年間の治世中には享保の改革を断行、藩財政を再建し中興の祖となった。一方画を狩野常信に学び、書画・詩歌・猿楽等を能くする。宝暦元年(1751)歿、72才。とのことで、

こちらにお顔がありました。(絵)
大和町「まほろば百選」 伊達吉村

伊達藩の呼び名

伊達氏・伊達氏族     からもわかるように、
初代:伊達朝宗(念西公)、伊達輝宗(性山公)、伊達政宗(貞山公) はよく見ていましたが、それぞれにつけられた法名のお名前があるようです。獅山公は江戸中期の、伊達吉村のことでした。

まとめ

性山公治家記録などは輝宗時代の記録だし、さすがに貞山公はよく聞いたことがありました。江戸時代の仙台藩の人々は、初代藩主の実名を直接呼ぶのをはばかって法名に敬称を付けて貞山公と呼ぶことが多かったそうです。政宗にちなんで貞山と名付けられたものがいくつかあり、江戸時代から明治時代にかけて開削された,塩釜湾から阿武隈川河口に至る運河のことが、今でも貞山堀と呼ばれています。

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