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宇和島伊達藩:愛媛県史 近世(上)①

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宇和島伊達藩:愛媛県史 近世(上)①

伊達政宗の諜報部隊とされている。足の脛(すね)に黒の革脚絆を巻いていたことからそれを組の印として、黒脛巾組と呼ばれるようになった仙台の忍者の集団を調べています。今日は昨日少し考えた部分からの続きで、鹿股戸兵衛からの桜田玄蕃について調べるため、ネットから見られる範囲で資料を読みました。

・愛媛県史とは
・メモするべき内容
・気になった部分
・まとめ

 

愛媛県史とは

愛媛県史 近世 上(昭和61年1月31日発行)より

今日の引用はすべてこのページからとっています。
『四 藩家臣団と支配組織の形成』のページにとんで行っていた模様。序文から、編纂事業が開始されたのは昭和五十四年の夏に着手とあった。この部分は通史編の「近世上」で、既刊の通史編「古代Ⅱ・中世」に続く通史編第三巻。各藩の独自の経営をはじめて明らかにしたところに本書の特色がある。と書かれてあった。そしてそれが全てインターネットで読める。昭和61年に県知事さんの名前でサインしてあったが、古くないからかもしれないがすごい。これは便利だ。

 

メモするべき内容

深く考えられていないのだがどこに書いてあったかわからなくなるので、メモをとる。

表二-75は、表二-74の②のもと・・・宇和島藩のこの期の軍団は三つの主要な単位から構成されていた。ひとつは桜田玄蕃組、ひとつは尾川孫左衛門組、ひとつは旗本備である(ただし桜田玄蕃は二〇年前に山家清兵衛に「崇り殺され」ており、このころは養子の監物の代である。この点でこの史料には不審があるが、あるいは玄蕃の死後も組の呼称がそのまま残ったとも考えられる。また前述の明暦元年の由緒書とも一致する点が多く、脱落部分があるとしても大筋では信用できると考えられる)。

初期においては、藩政全般を担当する役(後年の老中)は「奉行」または「仕置」役であり、桜田玄蕃は、侍大将であったが、奉行は山家清兵衛であった(第三項を参照)。

 

気になった部分

「知行地を与えられないで単に大名から切米(年に何回かに区切って支給されたので、この呼称がある)や扶持米(一人一日五合を一年三六〇日分一石八斗を支給するもので、これを一人扶持といった)」

「御鷹匠衆の項目には、侍の格である鷹匠の他に、姓のない「餌差し」「犬殺」「犬引き」などの職の者が含まれている。」

「明暦「由緒書」には、「御船頭衆」として一一人の名が記されているが、仙台出身の者はもちろん一人もいない。このうち一人は淡路島、二人が塩飽島、残りも阿波・讃岐・備前・豊後・伊予松山・宇和島の出身である。」

→切米、扶持米については人名辞典によく出てくるが意味が今まであまりわかっていなかった。その他の2つは、少し自分的にひっかかった部分。

 

まとめ

かなりボリュームがあるが、まとまっていて読みやすい。またしばらく読んでいってみようと思う。

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